「テニスウエアの革命」7人の勇者

出典:Wikipedia スザンヌ・ランラン

テニスはヴィクトリア時代流階級のリクレーションとして始まった。初めは、茶話会のついでの「お遊び」で、女性は白地の長いドレス。男性は、スーツ(白いパンツ)といういでたちで遊んでいた。

1873年に正式スポーツに認可されると、女性の長いスカートはひざ下からひざ上へと、どんどん短くなっていった。そして、男性はスーツからダブダブの半ズボンへ、さらにショートパンツへと移行し、ファッションだけではなく機能性も重要視された。

そこで、このコラムでは、テニスウエアに変化をもたらせた7人を紹介したい。

スザンヌ・ランラン

テニスウエアをおしゃれなドレスから、機能的でスポーティなものにしたのは、スザンヌ・ランランだ。フレンチオープンのコートの中に「スザンヌ・ランラン・コート」があることをテニスファンなら聞いたことがあるだろう。

1920年代「テニスの女神」と呼ばれたパリ出身のスザンヌ・ランランは、当時流行していたフラッパースタイル(膝丈の短いスカートやショートのボブカットなど)をテニスの世界に持ち込みテニス界に影響を与えた。

ランランはファッションだけではなく、テニスの腕も相当なもので、1919年のウィンブルドン選手権で初優勝し、その年から5連覇を達成した実力者なのである。

ランランは、フラッパースタイルのテニスウエアを身にまとい、コートを縦横無尽に駆け巡りながら、連勝していった。その姿は、他の選手やテニス関係者に大きな影響を与えた。

ファッション性を高めたテッド・ティンリング

テッド・ティンリング(出典 20世紀FOX)

テッド・ティンリングは筆者の前述したコラム『映画バトル・オブ・ザ・セクシーズ』の中に登場している。

映画の中では、「バージニアスリム選手権」などを中心に選手のツアーに帯同し、カラフルな色や、斬新なラインのウエアを提案し、白一色だったテニスウエアの世界にセンセーショナルを巻き起こした

映画の中では、女性的な話し方や動きで、日本で俗にいう「オネエ」のように描かれている。彼自身1920年のウィンブルドン選手権にダブルスの選手として出場したれっきとしたテニスプレーヤーなのだ。

もとテニス選手だったことを思い出させないほどファッションデザイナーとしての功績は大きい。このような進歩的な人物は、伝統を重んじるウィンブルドンとはあまり相性は良くなかった。

その出来事は、1959年のウィンブルドン選手権で起きた。彼はアメリカのテニス選手に、スコートの下にレースが施したショーツを履かせた。観客は大喜びしたが、ウィンブルドン側は怒り心頭。それまで、ウィンブルドンの司会を務めてきたティンリングを、なんと追放処分にしたのだ。

23年間もウィンブルドンで司会者として活躍してきたティンリングを追放したのだから、ウィンブルドンがいかに厳格であり、伝統を重んじる組織なのかがよくわかる。そして、1982年にやっと復帰が認められるまで、23年間の月日を要した。

ジョン・マッケンロー&ビヨン・ボルグ

先日、人生の先輩から興味深い話を聞いた。先輩が20歳前後のころ頃、若者たちは猫も杓子もテニスウエアで街を闊歩していたそうだ。その時代は1980年代である。

そう、あのビヨン・ボルグとジョン・マッケンローがウィンブルドン選手権で死闘を繰り広げた時代だ。1980年はビヨン・ボルグが優勝し、5連覇を達成した。翌年の1981年はジョン・マッケンローが優勝し、雪辱を果たした。そのシビレル試合内容と王者の世代交代などの話題が世界を席巻し、一大テニスブームになっていた。

街にはテニスウェアに身を包みラケットを小脇にかかえた若者が多数出現した。テニスをしない者も、テニスウエアとラケットを購入し、一つのファッションとして楽しんでいた。このような現象は日本だけはなく、世界的に広がっていたそうだ。

あの松岡修造氏もYouTube動画の中で言っている。ボルグモデルのウエアがあまりにも高価なので、海外まで偽物を購入しに行く猛者もいたそうだ。これらのことからわかるようにこの時代は、異常なまでのテニス人気が世界を覆っていたという。

テニスというスポーツがファッションアイコンとしてシンボリックな象徴となり、確立されたのが丁度このころ(1980年代)であろう。

有明に出現した「ボヨン・ボルグ」 やはり縦縞のウエアを着ている

熱狂的なファンをつかんだウエア

ビヨン・ボルグが着ていたのは、名門メーカーFILAである。FILAはそれまで、白一色だったテニスウエアのファッション界に斬新な色使いとデザインで人気を博し、テニスウエアの世界での地位を確かなものにした。

そして、そのロゴとイメージカラーによってテニスアイコンとして世界的に認知された。その頃の若者に人気のトレンド雑誌にFILA特集が組まれていたほどだった。

なかでも縦縞のボルグモデルのシャツは、テニスファンにもテニスをしないにわかテニスファンにも絶大な人気があった。ボルグといえば1981年の5連覇達成の際に着用していた縦縞のシャツを多くの人がイメージすることだろう。

かたやジョンマッケンローのウエアもボルグモデルに負けない人気を誇っていた。彼が身に付けたメーカーはセルジオ・タッキーニである。そのなかでもマッケンローのモデルで一番人気があったのは、1981年にボルグに勝利したときに着用していたものだ。

そのシャツは「ヤング・ライン・ポロシャツ」、ウォームアップの際に身に付けたトラックジャケットは「ギブリ トラックトップ ジャージ」と言う。今でもセルジオ・タッキーニショップで復刻版が売られているようだ。

マッケンローは1980年のウィンブルドンでは、袖に赤と青の太めの縦ストライプのシャツ(モデル名不明)で決勝を戦っていた。1981年はその「ヤングライン・ポロシャツ」で決勝戦に出場し、優勝を奪い取った。

そのときのモデルは1981年の決勝のときのデザインとは異なり、胸から袖にかけてスカイブルーの太いラインがある。優勝時に着ていたスカイブルーのラインシャツがマッケンローのイメージになった。

アンドレ・アガシ

テニスウェアのイメージを変えた選手として、アンドレ・アガシを忘れてはならない。テニスは本来、紳士のスポーツとしてマナーや服装、振る舞いなどを重んじるところがある。その紳士のスポーツにある意味「ラフさ」を持ち込んだのがアガシであろう。

彼は、異端児扱いされながらも、個性の強さとテニスの腕前で、世界的な人気プレーヤーとなった。アガシは、長い金髪の髪をしてデニム生地のショートパンツを履いたり、蛍光色のド派手なゆったり目のシャツを身にまとったりして、その個性と存在感を示した

それまで、体にぴったりしていたウエアを大きめでゆったりとしたものに変えていった。パンツのインナーにスパッツというスタイルもアガシが流行させたものだ。

出典画像(AFP BB NEWS)

そのころ、ウエアの裾をパンツに入れる(インする)ことが当たり前だったが、アガシはシャツをインせずにプレーした。これが大流行した。世界的にシャツをインせず外に出すようなファッションになったのはアガシの影響だと言われている。彼はテニス界のみならず、世界のファッション界にも影響を与えた。

そのド派手なアガシに筆者が特に驚いたのは、彼が全盛期の時に出場したウィンブルドン選手権のことだ。その時のTVアナウンサーも解説者もそして、視聴者もアガシがどんなコスチュームでプレーするのか期待しながら待っていた。そして、アガシが登場した。

なんと、彼は頭からつま先まで白一色だった。やはり異端児アガシもウィンブルドン選手権だけは、リスペクトしていた。

彼のファッションにおいてさらに驚くべきことが起きた。それまで、長髪がトレードマークだったアガシが、いきなりスキンヘッドになったときのことだ。後にアガシは著書「オープン」でこのことを告白している。

彼は、20歳ごろから頭髪が後退し始めたそうだ。それを隠すためにかつらを着用していた。全仏オープンの決勝戦前夜、アクシデントでかつらがバラバラになったことがあった。慌ててそれを束ね、元の形状に戻したアガシが願ったことは優勝することではなく、『かつらよ落ちないでくれ。』ということだった。

それから数年後、頭髪をそぎ落とし、スキンヘッドになったアガシは、さらに強くなっていった。かつらを気にすることがなくなり、集中力が増し、自信がみなぎっているように見えた。その潔さに、ファンは再び熱狂した。

それからもおしゃれなアガシはスキンヘッドに、ナイキのロゴの入った白い三角巾のような帽子?をかぶり、カッコよさに磨きをかけていった。いつの時代もアガシはファッショナブルで魅力的だったのだ。

ヴィーナス・ウィリアムズ&セリーナ・ウィリアムズ

ヴィーナス・ウイリアムズは、「テニスコート上の見た目はとても重要だ。」と言っている。気に入らないウエアを着ることによって、試合中の集中力を欠くことがないようにすることが重要だと考えている。

その言葉どおり、自らテニスウエアブランド「EleVen」を立ち上げている。しかし、彼女のウエアはランジェリーのようなものや、ヌードカラーの補正下着のようなものなど、かなり奇抜なものがある。

その斬新すぎるデザインや機能性に対して賛否両論があるようだ。さらに、妹のセリーナ・ウィリアムズも負けてはいない。長年「ナイキ」と契約している彼女は、試合の度に個性的なウエアで、観客の目をくぎ付けにし、メディアに話題を提供している。

極めつけは出産後の体調を整えるために着用したと「キャットスーツのようなウエア」だ。そのコスチュームはテニスの試合には過激すぎるという理由から、フランステニス協会から着用禁止令が出てしまった。しかし、それにもめげず、その後もセレーナ自信で考案したウエアでテニスファンの目を楽しませてくれている。

筆者が特に印象に残っているのは、2019年の全豪オープンで着用したエメラルドグリーンのウエアだ。そのウエアについて報道陣から質問を受けた際は、「セレーナタード」と答えたそうだ。

出典画像:https://courrier.jp/news/archives/150121/

これからのテニスウエア

以上テニスウエアの概念を変えた面々を紹介した。

これからも大きなテニスの大会の度に、文化やファッションを変革するスターやメーカーが出てくることだろう。どんなウエアを見ることができるのか楽しみである。

個性的なファッションをした選手が世界にどんな影響を与えていくのか、また、テニスウエアがどのように進化していくのか、今後のテニス界から目が離せない。