【偉人伝】ラファエル・ナダル 土の王者が残した栄光と苦悩の足跡

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2019年現在でもその強さに一切の衰えを見せないBIG4の一角、ラファエル・ナダル選手。彼が歩んできたテニス人生と輝かしい実績、怪我との戦いと強さの秘密まで詳細にご紹介します。

ラファエル・ナダル歴史探訪

生まれたときから身近だったスポーツ

1986年6月3日、スペインバレアレス諸島州マナコルにて誕生しました。スポーツ熱心な家庭で育ったナダル選手の叔父にあたるMiguel Angel Nadal 氏は2002年のワールドカップに参加したサッカーのプロ選手として知られています。

ナダル選手がテニスを始めたのは4歳のときです。もう一人の叔父であるToni Nadal 氏に教わったのが最初で、今でもツアーの際ナダル選手のコーチを務めています。

ナダル選手はテニスを始めた当初、ペンで字を書くときは右利きだったにもかかわらず、左手を下にしてフォアハンド・バックハンドをどちらも両手握りで打っていたといいます。恐ろしく器用な子供です。

しかし12歳のとき、さすがに見かねたToni Nadal 氏によって完全なサウスポーへと指導されます。

15歳、戦慄のプロデビュー!

ナダル選手がプロデビューを果たしたのが2001年、当時まだ15歳のときです。そして2002年のジュニアウィンブルドン選手権にて準決勝出場。

2002年ジュニアウィンブルドンの翌年から、いきなり世界ランク50位以内にその名を刻みます。2004年にはデビスカップにスペイン代表としてメンバー入りし、当時世界ランク2位だったロディック選手を相手にシングルスで勝利、世界最年少(18歳と6ヶ月)で国際団体大会のシングルスで勝利を収めた男として世界にその名をとどろかせました。

人生最大のライバル、ロジャー・フェデラー

自他共に認めるナダル選手の人生最大のライバルといえば、ロジャー・フェデラー選手でしょう。

2005年、11のトーナメントで優勝を果たし、男子10代選手の歴代ツアー年間優勝数記録を塗り替えます。このトーナメントの中には全仏オープンのデビュー戦も含まれており、初出場・初優勝という偉業を達成しました。このとき、準決勝で当時世界ランク1位だったフェデラー選手を倒しています

翌年の2006年、ATPツアーおよび2連覇の全仏オープンを含めさらに5つの優勝を重ね、当時グランドスラムシングルス決勝において無敗だった王者フェデラー選手に黒星を初めてつけることに成功しました。

またその年のウィンブルドン決勝にて、フェデラー選手を最も苦しめたのがナダル選手でした。結果的にはフェデラー選手に軍配が上がったものの、試合後のフェデラー選手のインタビューでは「芝では負けられなかった」と勝利への厳しさがにじみ出たアンサーだったといいます。

クレイではほぼ無敗の伝説を作る

2007年、5月20日のATPマスターズシリーズ:ハンブルグ(ドイツ)にてフェデラー選手に敗れるまで、クレイコートでの公式戦81連勝という驚異的な記録を叩き出します。

全仏オープン決勝では再びフェデラー選手と対戦し勝利、3連覇を達成します。同じ年のウィンブルドン決勝ではまたしても対戦相手はフェデラー選手、3時間45分にも及ぶ試合時間の末に敗北。敗北はしたものの芝では無敵と言われたフェデラー選手相手に好戦し、勝利への可能性をファンに示唆した結果となりました。

翌年2008年の全仏オープンも優勝、往年の名選手であるボルグ選手に並ぶ4連覇を達成し、さらにウィンブルドン決勝でフェデラー選手を破り初優勝。こちらもボルグ選手に並ぶ同年にウィンブルドン・全仏優勝という偉業を成し遂げます。

2010年、全仏オープンを全試合ストレートで勝利し優勝。2009年の全仏オープン初黒星の雪辱を晴らします。そしてついに初の世界ランク1位にその名を刻むことになります。

その後もクレイコートでは無類の強さを見せつけ、2010年~2014年で全仏オープン前人未到の5連覇を達成。怪我からの復活を見せた2017年から2019年まで衰えをまったく感じさせない3連覇。トータルで全仏オープン通算12勝という偉業を成し遂げました。

怪我多き世界最強

2009年の全仏オープン初黒星の後、その当時両膝を怪我していたことが判明しました。その怪我が原因でウィンブルドンの出場を断念しています。そしてその後もナダル選手は怪我に苦しめられます。

2012年ウィンブルドンでは膝の怪我が原因で2回戦まさかの敗退。さらに同年のロンドンオリンピックへの出場も断念しています。2014年には手首の怪我に悩まされ、全米オープンを欠場。2015年シーズン中盤までその影響を引きずることになってしまいます。2016年の全仏オープン2回戦で再びの左手首の怪我、3回戦を棄権しました。その年のウィンブルドンにも出場することができていません。

怪我多きナダル選手ですが、怪我を克服、世間の下馬評を覆し、不死鳥のごとく復活する様は多くのファンを勇気付けています。

クレイコートでの強さの理由とは?

全仏オープン12勝を達成したナダル選手のクレイコートにおける強さの理由はどこにあるのでしょうか。この章ではナダル選手のクレイコートでの強さの秘訣についてご紹介します。

生まれ故郷スペインはクレイコートが多い

スペインのテニスコートはクレイコートが多いことで有名です。幼少期からクレイコートに慣れ親しんだスペイン出身の選手(例えばダビド・フェレール選手はクレイコートを得意としているスペイン出身選手の1人)はクレイコートでのトーナメントで好成績を残している割合が高いです。

異常な回転数を誇るストローク

「アマチュア選手では本気を出したナダルのトップスピンドライブを返球することはできない」と言わせしめるほど強烈なトップスピンを武器にしているナダル選手。

このストロークはその軌道から「エッグボール」と呼ばれており、通常ではありえない深さと重さをボールに与えています。

このトップスピンとクレイコートの相性は抜群です。クレイコートの場合、芝やハードコートに比べバウンドが高くなる傾向にあり、この強烈なトップスピンがさらに強化されます。またクレイコートはバウンド後の打球が遅くなりますのでベースラインから持久戦を得意とするナダル選手に有利です。

2017年以降はネットプレーにさらに磨きが!

超持久戦を得意としていたナダル選手ですが、左手首の怪我以降長期戦を仕掛けることが難しくなってしまいました。高速化するテニス環境を前にネットプレーの強化を決断します。

圧倒的に強かった横の動きを前後の動きにも取り入れ、ネットプレーを強化。さらに深く思いエッグボールに加え、鋭角に切り込むクロスを織り交ぜることでストロークに幅が生まれました。

このプレースタイルの見直しがナダル選手復調の要因であるといえるでしょう。

土の王者、不屈の闘志

実はドラゴンボールが大好きだというナダル選手。とくに孫悟空のファンだそうで、孫悟空のような肉体に憧れているのだとか。遠征先にもDVDを持参していくほどの熱の入りようです。孫悟空とナダル選手、絶対に負けたくないという不屈の闘志を秘めているという点で共通していますね。

何度怪我をしても蘇るフィジカルとメンタルの強さ、闘志あふれるプレースタイルに勇気をもらっている方も多くいらっしゃるでしょう。全仏オープンの勝利数をいったいどこまで伸ばしてしまうのか、土の王者への期待は留まるところを知りません。