シャイン もう一つのベイビーステップ【第10話】旅立ち

【この物語の個人名、団体名等は仮名ですが、後は、ほぼ事実です。】

大地の家では、3月20日から3日間沖縄旅行を計画していた。それは、大地の合格祝いと勇人の小学校卒業祝いを兼ねていた。

祖母が「日本でこんな不幸のことが起きたのだからやめたらどうかと思う。」

と、沖縄行きを反対したが、宏之は、

「こんな時こそ旅行に行って、お金を使って日本経済を循環させるべきだろうよ。今沈んでいる日本を元気にするべきだ。アメリカの9・11のテロ事件の時、ニューヨーク市長が市民に『どうか、いつもと同じように生活してください。』と呼びかけたんだ。市民全員の気分が沈んでいるばかりだと、悪循環に陥るだろう。雰囲気だけでなく経済も落ち込む。だから、日本も全てを自粛していたら、ますます景気が落ち込み、この先永遠に暗い雰囲気が立ち込めるだろうよ。だから、沖縄に行ってある程度お金を使い、日本の経済に貢献しなくちゃならない。だから絶対に行くべきだ。」

と熱弁した。宏之が意見を押し通すことになり、家族は沖縄旅行にいくことを決定した。

震災の4日後、予定通り家族は沖縄に向けて出発した。

高速道路を走り、福岡空港に到着した。福岡空港は、大震災の影響なのか日ごろより、人の行き来が少なく閑散としていた。国内旅行や外国旅行をキャンセルする人が多いことをメディアが報道していた。東北地方で起こった大震災は日本全国に影響を与えていたのだ。

一行は、沖縄に着くとレンタカーを借りた。車種は世界的に売れているプリウスだ。その車でひめゆりの塔や美ら海水族館などを観光した。2日目は、首里城を見た後、スキューバーダイビングをした。ダイビングのインストラクターが言うには、3月11日には、沖縄の海でさえも1メートルを超える津波が来たとのことだった。

スキューバダイビングをして楽しむ家族

そして、やはり本土からの観光旅行のキャンセルが相次いでいるそうだ。特に東北地方からの観光客のキャンセルは100%に近いという。その話を聞きながら大地は、『柳田高校のオープンスクールで仲良くなった宮城の子は無事だろうか?どうか無事でいてくれ』と願った。(その後、宮崎の子に会うことはなかった。被災して命を落としたか、元気でどこかで頑張っているかはわからない。柳田高校に入学しなかったことだけははっきりしている。)

3日目は国際通りに寄って土産を買って半日を費やした。昼食をすませ、一行は沖縄空港を後にし、福岡空港に到着した。

福岡空港のターミナルには、多くの高校生がスポーティーな格好子をして集まっている。空港のゲートを降りた後、バスターミナルに並んでいる。背中には大きなラケットバックを抱えている。バックには、YonexやWilson、HEAD などのロゴが大きく描かれていた。どの高校生もカラフルなテニスシューズ履いていた。彼らは仲間と談笑しながらバスに乗り込んでいった。

バスの行き先は「博多の森」と記されていた。

その集団は、全国高校選抜テニス大会に出場するために、全国から選ばれた高校のテニス部員たちだった。そのことを知らない家族は、彼らのことなど気にも留めず、駐車場に停めていた車に乗り、自宅へ向けて走り出した。

後にわかったことだが、大地と同じテニス部に属する数名は、中学の卒業式を待たずに、柳田高校の部活動に参加していた。その中でもやる気のある数人は「博多の森」で行われる全国選抜テニス大会の応援に来ていた。そんなこととは露知らず大地はのんびりと高校に入学するまでの期間を友達と遊んだり、テニスをしたりしてのんきに楽しんでいたのだ。(入部してからの差は、それは大きかった)

テニス以外だらだらと過ごしていた大地に、柳田高校へ行く日が近づいてきた。

そして、柳田高校へ行く 4月4日になった。その日は、朝から家族全員が落ち着かない。飼い犬のラッキーもいつもとは違う家族の雰囲気を察して、檻の中をうろうろと歩き回っていた。そして、ときどき遠吠えをした。動物の感なのか、家族から一人旅立つことを予感しているようだ。檻の中をウロウロし、その落ち着かないしぐさから何かを悲しんでいるようにも見える。

父の宏之と弟の勇人そして妹の鈴は早々と庭に出ていた。出発の時間まで、庭でボレーストロークの練習を始めた。簡易ネットを張り、ボレーヤーを宏之、そして、ストローカーが勇人と鈴が交代でする。その様子を家の中にいた大地が気づいた。そして、大きなラケットバックとナイキのエナメルバックを抱えて家から出てきた。その様子を眺めながら、

「この練習、お父さんと結構やったね。なんか懐かしー。」

と、言いながら笑みを浮かべながら眺めていた。丁度、その頃大地の中学時代の友人6名が自転車で門をくぐり庭に入ってきた。彼らは律義に見送りに来てくれたのだ。

その日は、母親の直子が柳田まで車で送ることになっていた。15歳で家を出ていく息子にしてやれるとこといえばこのくらいしかないと母は考えていた。見送りは、父、弟、妹、祖母、犬のラッキー、そして、友人6人である。一人ひとりお別れの言葉を交わし、最後に妹の鈴の番になった。その小さい手には、青いフエルトで作った小物が握られていた。

母親が作ったフエルト生地のお守り

大地が車に乗り込むときに、妹の鈴が、プレゼントを大地に渡した。それは小学4年生が兄のために一生懸命に作った手芸作品だ。昨夜、母親の直子が大地のためにフエルトでお守りを作っていた。表には、『できる』と、裏には『平常心』と刺繍を施した。それを見て、鈴も何かできることはないかと考え、余ったフエルトの切れ端に、糸で刺しゅうをした。

生まれて初めて針と糸を使ったので、最初は戸惑っていたが、何度か針先を指にさしながらその作品を完成させた。青フエルトの布にカタカナで『ダイチ』と刺繍で施してある。テニスバールが刺繍してある。その下にはカタカナで「テニス」とい白い糸で編んだ。この青い切れ端は10歳の妹には兄への精一杯のプレゼントなのだ。

大地はそれを受けると少しはにかんで、

「ありがとう、鈴。」

と、言った。

妹の鈴が作ったフエルトのお守り

「大ちゃん、頑張って練習して、ジョコビッチみたいになってね。」

と声を震わせながら伝えると同時に、瞳から大粒の涙をあふれ出す。

大地はその様子を見て、

「鈴もテニス頑張れよ。」

と、言いながら車に乗り込んだ。運転手の直子が、

「さあ、いくよ。」

と言いながら、エンジンを始動した。

庭から県道にゆっくりと車は移動し始めた。見送りの全員でその後を着いていく。県道に出ると大地は、窓を開け、皆に手を振った。見送りのみんなも手を振っている。その中から一人が走ってこっちへ向かってくる。それは、弟の勇人だった。

「大ちゃーん。早く帰って来てねー。」

と、叫びながら走ってきた。

「大ちゃーん。大ちゃーん。」

と弟の泣いている姿が見えた。そして、大地は上半身を乗り出し、腕をいっぱいにふった。

少しずつ弟の姿が、小さくなっていった。そのそばにピンクの服を着た妹の姿も確認できた。

『鈴も走って追いかけていたのか。全然気づかなかった。』

と、独り言をつぶやいた。それを聞いた運転手の直子が、

「勇人と鈴のためにも3年間頑張りなさいよ。」

と、少し怒ったように言った。それを聞いた大地は、3年も帰れないのなら故郷の景色をゆっくり目に焼き付けておこうと思い、窓の外を眺めた。

車は西向かって高速道路を走っている。空は蒼く、雲一つない。北を見ると山の稜線がいつもよりくっきり見える。ところどころにぼんやりとした桃色のまとまりがある。それは山桜が密集しているところだ。新緑に中に部分的な桃色のコントラストが鮮やかに輝いて見えた。

故郷の山桜

それを見た大地は、小さいころ地域の家族と地域の人と山桜に囲まれた山寺にハイキングに出かけたことを思い出した。当時3歳で悪ガキだった弟の勇人が一緒に行ったおじいさん達に向かって、

「おい、じいさん!弁当どこで食うんか?」

と、乱暴な言葉で尋ねたとき、その悪ガキの突き抜けた様子に祖母は叱るのを忘れ、腹を抱えて大笑いしていた。そして、オロオロしながら、ひたすらおじいさん達に平謝りする母の姿などを思い出した。おじいさん達も悪ガキの悪態過ぎる様子に対して大笑いしていた。

その出来事を思い出した大地は、小さいころは悩みや心配事など何一つなく、幸せだったと思った。そして、今の自分の置かれた立場は後には戻れない厳しい状況であることを改めて知った。自分の立場を再確認した大地は、とめどなく流れる涙に気づいた。悲しいとか、嬉しいとかいう感情以外の何か別の気持ちが心の中に沸いてきた。

車が関門大橋を渡ろうとするとき、携帯のメールの着信音が鳴った。それは、父からだった。

『がんばれ大地。お父さんの大地だから絶対にがんばれきるぞ。』

その文字を確認した。それに対して

『まかせろ!』

と返信した。

志を新たにした大地を乗せた車は関門橋を越え福岡県に入っていた。