シャイン~もう一つのベイビーステップ~【第8話】合否

【この物語の個人名、団体名等は仮名ですが、後は、ほぼ事実です。】

鈴、勇人、あれ大地じゃないか?」

「本当だ。あれ大ちゃんだ。」

と、鈴と勇とが窓をあけて、兄に手をふった。

自転車のかごにラケットバックを入れて、お気に入りの白いアディダスのジャージを着た大地が、笑顔で手を振り返してきた。辺りは夕闇に包まれ、白地のジャージが街灯に照らされて、蒼白く光っている。表情は少し笑っているように見える。一人でほほ笑みながら自転車をこいでいる。こんなやわらかい表情ができるのは柳田高校の受験が終わり、安堵しているからに違いない。

高校受験を終えた大地はテニス三昧の一環として、毎日、19時のテニススクールのレッスンに通い始めていた。

鈴と勇人も火曜日と金曜日の夕方にあるテニスレッスンに通っていた。火曜日と金曜日は二人を迎えに行く宏之の車と大地は大通りの交番前付近ですれ違うことが多い。

大地のテニス三昧の日々は次のようになっていた。

月曜日から金曜日まで19時~のレッスンを受ける。土曜日は、午前中のレッスンを受け、14時からある父のサークルに参加。それが終わると再びテニススクールに戻り、夕方14時からのジュニアのレッスンに参加する。それが終わると19時から始まる大人のレッスンにも参加。日曜日は、朝10時~の大人のレッスンに参加。しかし、月曜日だけは、定休(球)日と決めていた。その月曜日はイチロー選手やサッカーの三浦カズ選手の自伝などを読み、これからの方向性と自分の進む道を研究していた。

テニススクールに通う大地にとって少し困ったことがあった。それは、受験を控えた中学3年生の男子が毎夜テニススクールに通っていることが、大人のレッスン生には不思議に見えたのだ。毎夜通う大地に「受験はどうしたの?」とか、「高校はどこに行くの?」「受験勉強は大丈夫?」などの質問の答えに困っていた。公立高校の受験日まで、まだ一か月もあるからだ。そして、とうとう「T高専に行くことになりました。」と嘘の答えを準備した。T高専の受験はすでに終わっていたからそのような嘘を考えだしたのだ。そして、例の質問の答えは「T高専に行く。」という答えを押し通すことにした。T高専は成績の上位ではないと合格できない偏差値の非常に高い学校である。どこで仕入れたのか定かでないが、『大地の成績は中の上。決して成績上位者ではない。』という情報がテニスコーチやスクール生にも伝わり、皆が不思議がっていた。大地は嘘をつくことが心苦しかったが、その嘘の答えを準備してからというものテニスの練習に集中することができるようになった。このような環境の中で大地は黙々と練習に励み、少しずつ上達していった。普段口の悪いコーチも毎夜がんばる大地に個人的にレッスンしてやることもあり、大地のふるラケットは心地よい音をたてて威力のあるボールを放つことができるようになっていった。

テニススクールに通う中でよいこともあった。それは、上手な大人にアドバイスをもらえることだ。そこに2週間も通えば皆顔見知りになる。そして、不思議な連帯感のようなものが生まれてくる。大人のレッスン生は皆、大地に親切だった。特に、仲良くしてもらったのが超変則的なサーブを打つMさんである。彼のサービスのフォームを初めて見た者は度肝を抜かれる。あまりにも変則サーブだからだ。ボレーもバックハンドも、フォアハンドも彼ならではの個性豊かな変則的な打ち方をする。それを見て大地は『お手本にはできないな。』と思っていた。そんな個性豊かなMさんなのだが、時間があれば大地とストロークラリーやボレーボレーなどをして練習相手になってくれていた。その甲斐あって、一番苦手にしていたボレーも面をつくってそこそこ打てるようになっていった。

テニス三昧を堪能していた大地に、柳田高校の合格発表の日が近づいてきた。仮に不合格であれば、家のすぐ近くの公立高校へ受験する予定となっていた。そこには近隣の高校には、珍しく硬式テニス部があった。しかし、レベルはというと、地区大会で一、二回を突破できればよいほうだった。大地はその高校に行くことにあまり乗る気ではなかったが、柳田高校の受験が失敗した場合はそこに行くしかないと諦めていた。

そして、いよいよ合格発表の1月27日になった。大地は、自宅の電話の前に座っていた。その日は、気持ちが落ち着かないのでテニスの練習には行かず、合否の連絡を自宅で待っていた。合否の知らせは、まず、柳田高校から中学校に連絡される。その後、担任から大地本人へ連絡があることになっていた。大地は緊張を和らげようと気分転換にテレビをつけた。夕方のニュース番組が液晶画面に映し出された。宮崎・鹿児島の境の霧島山と新燃岳が189年ぶりに噴火し、警戒レベルが入山禁止に引き上げられたことや、トヨタ自動車が170万台のリコールをだしてしまったこと、さらに鹿児島県の出水市で鳥インフルエンザの感染を確認したことなどが次々に報道されていた。どのニュースも社会的に大きな事件なのだが、大地にとってはどうでもよいことだった。

「プルルル。」

「はい、藤田です。」

「中学校から連絡あった?」

と母の声。ため息をつきながら

「まだ、まだ。」

とめんどくさそうに答えた。

「わかったら。連絡してね。」

「はい、はい。」

と答えて受話器を置いたとたん、再び電話が鳴った。今度こそと思い息を止め聞き耳をたてた。しかし、それは父からだった。母と同じ対応をし、受話器を置いた。

父の電話の20分後に再び、電話が鳴った。その瞬間大地は受話器をとった。

担任の城下からだ。

「おめでとう。合格、合格したぞ!」

「本当ですか?」

「本当だ。今までよくがんばったな。」

「ありがとうございます。」

「あ、合格してもクラス内では普通にしておけよ。他の生徒の受験は1か月後だから、今の集中した雰囲気をくずさないように頼むぞ!」

「はい、わかりました。普通にいつもと同じように過ごします。」

と言って受話器を置いた。大地は無言で大きなガッツポーズをした。そして、すぐに父母と祖母に合格したことを連絡した。

その日は母親がケーキを買って帰宅してきた。いつもより早めの帰宅だ。翌日は大地の誕生日だったのだが、前倒しで、合格祝いと誕生会をその日に一緒にやることになった。食卓には、大地の大好物の「たらこスパゲティー」「カルボナーラ」そして、「チョコレートケーキ」が並べられた。

家族6人で盛大にお祝いをした。弟の勇人と妹の鈴は自分のことのように大はしゃぎだ。家族の前で、得意の歌やダンスでその場を盛り上げた。そして、宴のクライマックスは大地のピアノ、勇人の歌唱、鈴のダンスで、アンジェラアキの『手紙~拝啓 十五の君へ』を披露した。

宴が終わり、洗い物をしながら直子が、

「明日から勉強はほどほどにして、テニス頑張りなさいよ。そうしないと、柳田高校に入学して恥かくよ。」

と言った。

「まかしとけって。最近ストロークの音がよくなったとコーチに褒められたから大丈夫だよ。」

と、自信たっぷりに大地は答えた。

しかし、これから味わう数多くの試練を大地本人も、家族の誰も知る由もなかった。

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