読者の皆さんは、テニス映画『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』<性別間の戦い>を観たことがあるだろうか。筆者は先日やっと観ることができた。その作品はテニスにまつわる実話を描いた素晴らしい映画だった。
感想は一言『こんなことが本当にあったの?』だ。実話をもとにしており、非常にエンターテイメント性が高く、おもしろかった。
この物語は女子テニス界の最高の偉人として知られるビリー・ジーン・キングの戦いの日々を描いている。
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ビリー・ジーン・キングとは?
ビリー・ジーン・モフィットとして、1960年から女子のテニス界で活動を始めた。1961年のウィンブルドンでカレン・ハンツェとペアを組み、初優勝をする。女子ダブルスで史上最年少ペアである。当時キングは17歳。カレン・ハンツェは18歳。1962年と1965年にもこのペアで優勝している。
シングルスでは1963年に決勝まで進んでいるが、敗れている。
1965年にラリー・キングと結婚して「ビリー・ジーン・キング」と名乗るようになる。
結婚後、ビリー・ジーン・キングは本来の力を発揮し始める。
1967年にはウィンブルドン選手権と全米選手権でハットトリックを達成した。(テニスのハットトリック;同大会で、シングルス・ダブルス・ミックスダブルスで優勝すること)
当時女子テニス選手は男子の8分の1の賞金額だった。それに憤り、「女性によるテニスツアー」を提唱し、これが女子テニス協会の前身となる。男尊女卑者に女性の権利を認めさせるために、197年9月20日、当時55歳の元世界チャンピオンである男子選手のボビー・リッグスと試合をする。
1983年に引退(39歳)
1987年にラリー・キングと離婚
1995年~2001年までフェドカップ代表監督(1997年除く)
1996年アトランタ五輪監督
2000年シドニー五輪監督
【戦績】
4大大会最高成績・シングルス
全豪 優勝(1968)
全仏 優勝(1972)
全英 優勝(1966-68・72・73・75)
全米 優勝(1967・71・72・74)
優勝回数 12(豪1・仏1・英6・米4)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 準優勝(1965・69)
全仏 優勝(1972)
全英 優勝(1961・62・65・67・68・70-73・79)
全米 優勝(1964・67・74・77・80)
優勝回数 16(仏1・英10・米5)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全豪 優勝(1968)
全仏 優勝(1967・70)
全英 優勝(1967・71・73・74)
全米 優勝(1967・71・73・76)
優勝回数 11(豪1・仏2・英4・米4)
国別対抗戦最高成績
フェド杯 優勝(1963・66・67・76-79)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 1位
ダブルス 1位
【出典 Wikipedia】
【映画について】
監督:ヴァレリー・ファリス&ジョナサン・デイトン
脚本:サイモン・ボーフォイ
製作:クリスチャン・コルソン
ビリー・ジーン・キング:エマ・ストーン
マリリン・バーネット(キングの恋人):アンドレア・ライズブロー
グラディス・ヘルドマン(テニス女子選手):サラ・シルヴァーマン
ジャック・クレーマー(男子テニス協会の責任者:元テニス選手:キングの本当の敵):ビル・プルマン
【あらすじ・ネタバレあり①】
1973年のアメリカでは、男女平等を訴える運動やウーマンリブ運動があちこちで起こっていた。全米女子テニスチャンピオンのビリー・ジーン・キングは、男子テニス協会の会長ジャック・クレーマーに女子の賞金総額が男子の1/8と知らされ憤る。それをきっかけに、テニス協会から離れ、女子だけのテニスツアーを強行する。自分たちで移動し、自分たちでコートの準備及びチケットの販売をする。そんなとき、美容師のマリリン(女性)に出会う。結婚しているキングだが、戸惑いながらもマリリンに惹かれていく。ある日ビリー・ジーンのもとへ一本の電話が入る。電話の相手は、元テニス世界チャンピオンの55際のボビー・リッグズ(男性)だった。リッグスはキングに試合を申し込むが・・・・・・
【ボビー・リッグズの紹介】
国籍 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州ロサンゼルス
生年月日 1918年2月25日
没年月日1995年10月25日(77歳没)
身長170cm
利き手 右
4大大会最高成績・シングルス
全仏 準優勝(1939)
全英 優勝(1939)
全米 優勝(1939・41)
優勝回数 3(英1・米2)
4大大会最高成績・ダブルス
全英 優勝(1939)
優勝回数 1(英1)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全英 優勝(1939)
全米 優勝(1940)
優勝回数 2(英1・米1)
国別対抗戦最高成績
デビス杯 優勝(1938)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 1位(1939年)
【出典 Wikipedia】
【あらすじ・ネタバレあり②】
ボビー・リッグスは、賭け事におぼれ、妻から愛想をつかされ離婚寸前。もう一度表舞台に立ち、脚光を浴び妻の気持を取り戻したいがため、時の人キングに試合をするように持ちかける。しかし、拒否され、彼女のライバルのマーガレット・コートと対戦して勝利する。調子に乗ったリッグスはマスコミに向かって、「男は女より優秀なのだ!」と声高に叫ぶ。それに対し、堪忍袋の緒が切れたキングは、女性の復権のため立ち上がる。そして、ボビー・リッグスと雌雄を決する試合に臨む。
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【見どころ】
主演のエマ・ストーンがすばらしい。
エマ・ストーンがちゃんとテニスをしている。ラ・ラ・ランドのヒロイン役では、華麗なダンスを披露しているが、この作品で彼女は、テニスのストローク、サーブ、バックハンドスライスなどを身に付けている。もともと運動神経がいいのか、CGを使った合成映像なのかわからないが、テニスシーンは一見の価値がある。
テニス未経験のエマ・ストーンは、4か月のテニス特訓を受け撮影に臨んでいた。体重を4キロ増量し、肉体改造も行い、よりテニス選手に近づくように努力していた。
サーブやラリーは実際にエマが演じている場面もあるそうだ。ラ・ラ・ランドでは、一流のダンサーだったが、この作品では、世界トップのテニスプレーヤーになりきって楽しそうに演じている。表情も精悍なスポーツ選手に見える。若き日のキングの画像や映像を見て、相当研究したのだろう。ハリウッド女優のプロ意識が高いことがわかる。
テニスの試合がすばらしい
この作品では、主にテニスの試合が2つある。一つは『ボビー・リッグスVSマーガレット・コート』もう一つは、『ボビー・リッグスVSビリー・ジーン・キング』の試合だ。
どちらも40年以上も前の試合なので、現代のテニスを見慣れている目には、とてもゆるやかに見える。ラッケトは、木製または、アルミニュウムだろう。このころのラケットやボールの性能に応じて体重移動を行って打つフォームは新鮮である。当時の最新の道具や技術によるフォームに違いない。
戦術はどうだろう。
ラリー中にドロップショットやスライスを混ぜ、ボレーで主導権を握るところなどは、現代と同じだ。ただ、ボールのスピードが遅い。鑑賞しながら『あそこに打てばいい』『ここに落とせばいい』と思うところに主人公がきっちりボールを運ぶので、テニスしている者にとって、イメージトレーニングしているかのように感じる。
ストーリーがすばらしい
実話だが、多様な問題提起に溢れている。ポスターや予告の映像を見ると、あたかも軽い感じのコメディ映画のように捉えしまうかもしれない。あながち間違いではないのだが、それだけではない。フェミニズム運動、ウーマンリブの台頭、LGBTという性的マイノリティーに対する差別、さらには、ギャンブル依存症など当時のアメリカの抱えるさまざまな社会問題が浮き彫りになる。
キングはその中で、女子選手のリーダーとして女性の復権のために戦う。直接戦う相手は、ボビー・リッグスだが、本当の敵は、男子テニス協会のジャック・クレーマーと彼を支持する女性差別主義者だ。ただの男子対女子のテニス対決だけの物語ではない。
キングは、ボビー・リッグスとの試合に勝利する。勝利したからこそ、女性差別主義者を黙らせ、女性の社会的地位を高めることに成功する。その行為は、彼女が現在も多くのテニス選手や関係者から尊敬される所以であろう。
キングの夫ラリー・キングがあまりにもいい人過ぎて心が痛む。
時代のファッションがユニークですばらしい
キングが率いる女子テニス協会の前身には専属のスタイリストが就いた。そのためテニスウエアがとてもカラフルになっていく。特に、マーガレット・コートが着用するイエローのウエアはとても華やかだ。ビリー・ジーン・キングが着る白を基調とし、星印が配列されたラインのウエアも選手を華やかに場面を彩る。
また、フレッド・ペリーのポロシャツやスタンスミスのシューズなどが登場するのも楽しい。
クライマックスでは、キングがはくアディダスのスエード調の青いシューズがとても輝く。このころのシューズの色は、白があたりまえだったのではないだろうか。はっきりしたことはわからないが、キングは、テニスのウエアの自由化にも大きく貢献したのかもしれない。
ボビー・リッグズがすばらしい
この作品で、ボビー・リッグズは道化役として描かれている。キングが倒すべき敵のようなあつかいではあるが、本当の敵ではない。ボビー・リッグスは女性をきちんと敬う紳士であり、よき父親である。しかし、ギャンブル依存症のせいで愛する妻に愛想をつかされ離婚の危機を迎えていた。妻の気持ちを取り戻すため、そして、もう一度脚光をあびたいという気持ちが、マーガレット・コート及びビリー・ジーン・キングとの試合に駆り立てる。
楽しいのは、彼のパフォーマンスである。奇抜な衣装を着て、テニスのデモンストレーションをしながら各地を回る。その姿は、一見、常軌を逸しているようにも見える。しかし、彼の明るいキャラクターのおかげなのか、あまり嫌味には見えない。物語が進むにつれ、彼はサービス精神が旺盛な気のいいただのおじさんだということに気づいていく。リッグズを見ながら、日本にも同じようにサービス精神が旺盛な人物がいることを思い出した。それは、もちろん『松岡修造』氏である。
実際のリッグスの写真と映画中のボビー・リッグスがそっくりなことに驚いた。彼を演じたスティーヴ・カレルという俳優の演技力のおかげで映画にリアリティが生まれた。また、物語をおもしろくさせる対立軸も生まれた。
【最後に】
キングの闘いは、多くの人々の人権を開放する闘いでもあり、テニスの歴史の中でも非常に重要な出来事だ。その勇気ある行動は、LGBTで、じっと我慢して生きてきた人々にも希望を与えたのではないだろうか。
テニスファンなら是非1回は鑑賞することをお勧めする。そして、今年のウインブルドン選手権で姿を現すであろうビリー・ジーン・キングに、敬意を表そう。
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