全米オープン  これだけはおさえておきたい名勝負 厳選7試合!

全米オープン 出典:Pixabay/Constantin Dancu

全米オープンは世界最大のテニス大会

8月最後の週から2週間開催される全米オープン。1月の全豪オープン、5月の全仏オープン、6月のウィンブルドンに続き、グランドスラムとしては毎年最後の開催となる。出場するすべての選手がその年最後のグランドスラムの栄冠を手にするために死力を尽くす2週間だ。

開催地はアメリカのニューヨーク市。市郊外クイーンズ地区のフラッシング・メドウズ・コロナ・パーク内のUSTAビリー・ジーン・キング・ナショナル・テニス・センターで行われる。

このテニス・センターは、1997年に建設された収容者数2万人超を誇るアーサー・アッシュ・スタジアムをセンターコートとし、1996年までセンターコートとして使用していたルイ・アームストロング・スタジアムやグランドスタジアム、コート17といったスタジアムコートがあるほか、練習用を含めると30を数えるコートを備える巨大テニス施設である。ちなみに、アーサー・アッシュ・スタジアムとルイ・アームストロング・スタジアムは開閉式屋根が設置されている。

また全米オープンは年々増額する賞金総額や観客動員数など、まさに世界最大のテニス大会であり、そのオープニングセレモニーは、花火は上がるわ、有名ゲストが登場するわと、エンターテインメントの国アメリカらしいド派手な演出で行われる。2018年は、アメリカの人気オーディション番組「アメリカン・アイドル」で優勝し、その後スターになったケリー・クラクソンが登場した。

全米オープンのシングルス優勝賞金は4億円超!

毎年話題になる全米オープンの賞金総額だが、2019年は前年から8%アップのグランドスラム史上最高額となる約5700万ドル(約61億円)となった。優勝賞金は、男女シングルスがこちらも過去最高385万ドル(約4億1000万円)、男女ダブルスが74万ドル(約7800万円)となっている。 参考までに、1回戦を勝ち抜くだけで約10万ドル(約1000万円)の賞金を受け取ることができる(まあ、本戦に出るだけでも大変なのですが…)。

オープン化以降の3回以上のシングルス優勝者をチェック!

そんな全米オープンのこれまでのシングルス優勝者について確認しておこう。ここではプロ選手の出場が解禁されたオープン化以降、3回以上優勝した選手ということでまとめてみる。一度の優勝でもスゴイことなのだが、3回以上の優勝者がこれだけいるのだ。まあ、みんな偉大なチャンピオンばかりなのだが。

優勝回数 男子シングルス 女子シングルス
6回 なしクリス・エバート
セレナ・ウィリアムズ
5回 ジミー・コナーズ
ピート・サンプラス
ロジャー・フェデラー
マーガレット・スミス・コート
シュテフィ・グラフ
4回 ジョン・マッケンロー マルチナ・ナブラチロワ
3回 イワン・レンドル  
ラファエル・ナダル  
ノバク・ジョコビッチ
ビリー・ジーン・キング
キム・クライシュテルス

さて、1881年アマチュアの大会として開催されてからその歴史がはじまった全米オープンだが、次のコーナーではオープン化以降の名勝負をかなりの独断と偏見で選んでみた。思い入れのある試合、選手というと人それぞれだと思う。私自身も、まだまだ取り上げたい試合、選手はいたが、泣く泣く7試合に厳選した。

厳選 名勝負<1> 1984年準決勝 ジョン・マッケンロー VS ジミー・コナーズ

全米オープンということで、やはりこの2人のアメリカ人の戦いを外すわけにはいかないだろう。どちらも悪童と呼ばれ、そのくせ、やたらと人気があった2人。コナーズは前年の優勝者でもあり、すでに全米オープンを5度制し、「ミスター・全米オープン」状態だった。

また1984年のマッケンローは、 グランドスラム4大会とATPツアー11大会に出場して13度優勝という圧倒的な強さだった。ITF(国際テニス連盟)の試合を含めると82勝3敗で勝率9割6分4厘となり、まさにキャリアハイの成績だったのだ(全盛期のフェデラー以上です)。

そんな2人の試合は最終5セットまでもつれ込み、マッケンローが勝利している。コナーズの前のめりファイティング・スピリッツも観るものを感動させるが、マッケンローの天才ぶりが凝縮された試合ともいえる。試合後の握手で両者とも相手を称える素振りすら見せないのもじつに面白い。

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厳選 名勝負< 2 > 1989年決勝 シュテフィ・グラフ VS マルチナ・ナブラチロワ

こちらは女子テニス界の世代交代、さらには女王交代というタイミングでの決勝戦。1980年代のクリス・エバート、マルチナ・ナブラチロワの2強時代から、1990年代のグラフの時代へという時期だ。

1987年に決勝でナブラチロワに敗れているグラフだったが、フルセットの末、リベンジを果たしている。前年(1988年)に続きの連覇。このとき、グラフ20歳、ナブラチロワ32歳。

前年1988年に年間ゴールデンスラム(グランドスラム+オリンピック金メダル)を実現したグラフが、直接対決での女王交代とグラフ時代到来を決定的に印象付けた試合ともいえよう。

それにしてもグラフの飛び跳ねるような自在のフットワークは素晴らしい。ナブラチロワのサーブ・アンド・ボレーもあまりにも懐かしいが。

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厳選 名勝負< 3 > 1995年決勝 シュテフィ・グラフ VS モニカ・セレシュ

再び、グラフの登場。1988~1989年の活躍からグラフ1強が長く続くかと思われたが、「時代」はきちんと強力なライバルを生み出してくれた。モニカ・セレシュの台頭である。

とにかく、1991~1992年のセレシュは強かった。グランドスラム大会合計8回のうち、ウィンブルドン以外の6大会に勝ってしまったのだ。1992年はウィンブルドンも準優勝だった。1991年には当時の史上最年少17歳3カ月で世界ランキングのナンバーワンとなり、グラフのナンバーワン連続記録を止めた。

しかし、1993年4月、試合中にグラフファンを自称する暴漢に背中を刺されるという世界のスポーツ界に衝撃を与える事件がセレシュの快進撃にストップをかけることになる。

その後、2年半もの間、後遺症で試合に出ることができなくなったのだが、その間グラフはナンバーワンに返り咲き、グランドスラムを6度制した。そして、セレシュ復帰直後のグランドスラムがこの全米オープンである。もちろん、グラフには何の非もあるわけがないのだが、やはり因縁の決勝戦といってもよいだろう。

結果はフルセットの末、グラフの勝利。ただ、決勝まで1セットも落とさずに勝ち上がったセレシュは見事な試合を行った。強烈なストロークはラリーでのグラフの足を止め、コート深く突き刺さった。両者ともサーブが素晴らしく、エースとなり、相手のリターンミスを誘い、ゲームの組み立てを有利にしていた。いずれにしろ、もう一度チェックしてほしい名勝負である。

厳選 名勝負< 4 > 2005年決勝 ロジャー・フェデラー VS アンドレ・アガシ

ロジャー・フェデラー登場。言わずと知れた史上最高のプレーヤーのキャリアハイともいえる時期の試合である。相手は、キャリア・グランドスラマーであり、元世界ナンバーワンである35歳のアンドレ・アガシ。

翌年の全米オープンで引退したアガシにとっては、最後のグランドスラムの決勝進出であった。当然、アメリカ人であるアガシを応援する声が多く、全米オープンの雰囲気をたっぷり堪能できる。

ここにある映像はハイライトなので、とにかくウィナーばかりになっているが、まあ強烈なショットの応酬である。アガシのリターンスピードはさすが世界一のリターナーと言われただけあるし、両者のラリーはまさに異次元であった。結果はフェデラーがセットカウント3‐1で勝利。前年に続いて連覇した。

厳選 名勝負< 5 > 2009年決勝 ロジャー・フェデラー VS フアン・マルティン・デル・ポトロ

そしてフェデラーが全米5連覇で迎えた2009年決勝。相手は期待の新星20歳のデル・ポトロ。全仏オープンの準決勝でもフェデラーと対戦し、フルセットの末、惜しくも敗れていた。善戦したとはいえ、全仏よりも明らかに速いサーフェースであり、5連覇中の王者フェデラーが圧倒的に有利かと思われた。

ところが、デル・ポトロはほぼ互角の打ち合いをし、ウィナーを連発。第2セットをタイブレークの末に奪い、セットカウント1-1にする。それでも王者フェデラーはきっちり第3セットを取って王手をかけるのだが、デル・ポトロが第4セットをまたもタイブレークで取り、セットカウント2-2の対スコアに持ち込む。そして最終セットはデル・ポトロが先行し、そのまま逃げ切り、フェデラーの6連覇を阻むことになる。

デル・ポトロは翌年、手首の怪我で手術をしている。その後も何度も手術を繰り返すのだが、もし、こうした怪我がなければ、BIG4をもっと脅かす選手になっていたかもしれない。ポテンシャルはそれほど高い選手だといえる。

厳選 名勝負< 6 > 2016年準々決勝 錦織圭 VS アンディ・マレー

日本人にとって全米といえば、まずは錦織圭である。決勝まで進んだ2014年の試合ではなく、翌々年2016年のアンディ・マレー戦を取り上げたい。この年、マレーはウィンブルドンで優勝し、絶好調だった(最終的に年間世界ランキングをナンバーワンで終えている)。

一方、錦織は準優勝した翌年2015年、期待されたがまさかの1回戦負けを喫し、その雪辱を果たすべくのぞんだ大会でもあった。そして、マレーとのこの準々決勝でフルセットの末、見事に勝利している。

第1セットを6‐1で簡単に取られたが、その後はじつに粘り強く戦った。最終セットの勝率が歴代トップという実績どおり、勝ち切ってくれたのだ。ただ、キャリアハイともいえる状態のマレーに勝利したにもかかわらず、準決勝ではスタン・ワウリンカに負けたことは非常に残念だった。

厳選 名勝負< 7 > 2018年決勝 大阪なおみ VS セリーナ・ウィリアムズ

やはり最後は大阪なおみの全米オープン優勝を決めた決勝戦。まだまだ記憶に新しいが素晴らしい試合なのでおさらいしたい。

セリーナにとっては復帰後のグランドスラム勝利、さらにはマーガレット・スミス・コートのグランドスラム最多優勝記録を並ぶべく、のぞんだ試合だった。当然、アーサー・アッシュ・スタジアムの観客、さらに全米のテニスファンもそれを望んでいた。

大阪なおみにとって完全アウェーではあったが、自身のアイドルであり、憧れの存在と公言していたセリーナとの全米での決勝戦は胸ときめくものであったろう。やはり贔屓目に見ても多くの人がセリーナの勝利を疑わなかったと思うが、第1セットの第3ゲームで大阪がセリーナのサービスをブレイクし、試合は動く。

この試合を見ていて、セリーナ相手にこのような試合ができるならもう誰も大阪なおみには勝てないのではないかと思った。セリーナから何本ものエースが取れるサービスはもちろん、攻撃的で強烈なストローク、さらにセリーナのウィナー級のショットをウィナーで返す高い守備力は驚きでしかなかった。精神的にも安定していて、驚きのプレーで逆にセリーナを追い込んでいった。その積み重ねがセリーナにはプレッシャーとなり、審判への暴言にもつながったのかと思える。

結局、ストレートで大阪が勝ったのだが、コーチング騒動や暴言によるゲームペナルティがなかったとしても、 あらゆる部分でセリーナを圧倒したといっていいだろう。 大阪は勝者にふさわしいパフォーマンスだった。本物のアスリートだけがもつ、そのしなやかな肉体は芸術的でさえあった。

ただ、その後、大阪は2019年の全豪オープンでも優勝したが、2019年8月時点では、この全米の決勝戦のような真に躍動した完璧といえるような試合は見せていないと思う。あのきらめきのパフォーマンスをまた期待したい。