日本女子テニス界は男子テニスに比べ、これまで世界を舞台に活躍する選手を数多く輩出してきました。シングルスのツアータイトル獲得者の数も男子の5人に対して、女子は11人もいます。今回はそんな日本女子テニス界でも長い間世界を舞台に活躍し、輝かしい実績を残した杉山愛選手をご紹介いたします。
杉山 愛
1975年7月5日生まれ。身長163cm。右利き、両手打ちバックハンドの元プロテニス選手です。プロとしての活動は1992~2009年までの17年間でダブルスでの四大大会優勝を含め、数多くのタイトルを獲得した日本女子テニス界のレジェンドです。
プロ引退後はテレビ番組のコメンテーターなどのタレント活動や、自身が代表を伝えるパーム・インターナショナル・スポーツ・クラブの経営など、テニス関係以外にも幅広い活動をしています。
現役時代のプレイスタイル
杉山選手は単複両方で活躍したため、非常に穴の少ない選手です。ベースラインでもネットでもソツなくプレイできます。他の多くの日本人選手と同様に身体的に恵まれていたわけではありませんが、シングルスではTOP10選手相手に通案20勝を挙げるなど高い技術を持っていました。
シングルスではフットワークを生かして粘り強くボールを拾い、緩急やコースを打ち分けたストロークでポイントを積み重ねていくスタイルでした。派手なショットを持つわけではありませんが、堅実でメリハリの利いたプレイは正にお手本といえます。ダブルスでは積極的なネットプレイを得意としていました。
杉山選手はシングルスではベースライン、ダブルスではネットでのプレイが中心だったため、単複でのプレイスタイルの違いに混乱し、現役中は一時期調子を崩した時期もあったそうです。
ジュニア時代
小学生時代に当時藤沢市に開校していたニック・ボロテリー・テニスアカデミー藤沢校(現在は閉鎖)に入会し、本格的にテニス一本に集中し始めるとメキメキと頭角を現していきます。
中学1年で14歳以下の全国選抜ジュニアで初の全国タイトルを獲得。1990年に15歳にして、18歳以下の全日本ジュニアでシングルス準優勝。同年の全日本選手権では4回戦進出など、中学生年代ながら、シニアレベルの大会でも結果を残します。
高校は名門の湘南工科大学付属高校に進学し、1年時にインターハイのシングルスを制覇。四大大会のジュニア部門にも積極的に参戦するなどし、ITFジュニアランキングでは日本人初の世界1位を獲得します。
その後、シニア大会に積極的に参戦していき、1992年に17歳にしてプロ転向。スポンサーとの契約問題などから高校は2年時に中退することになり、プロ一本でキャリアを築いていくことを決断します。
近年は実力のあるジュニア選手でも高校を中退してまでプロになる選手はおらず、高校卒業後も即プロではなく、大学進学を選ぶことも多いです。中退してまでプロの道を選んだ杉山選手のような強い意志がなければプロで成功するのは難しいのかもしれません。
自己最高ランキング
杉山選手のWTAの自己最高位はシングルス8位、ダブルス1位です。ランキングに関して特筆すべき点は同時期にシングルス、ダブルスでTOP10入りしたことです。
シングルス、ダブルスの両方に出場すると身体への負担は大きくなります。ダブルスに比べて、シングルスの方が賞金額が高いことからも、シングルスでランキング上位に入るような選手は、スポット的にしかダブルスには参戦しません。
そういった意味でもシングルス・ダブルスで同時にトップ10入りした杉山愛のような選手は世界的にも珍しく、ましてや日本で今後同様の偉業を成し遂げる選手は現れないかもしれません。
ツアー獲得タイトル
単複で活躍した杉山愛選手は数多くのツアータイトルを獲得しています。シングルス6個、ダブルス38個と計44個ものタイトルを獲得しています。
獲得タイトル数からも分かるように杉山愛選手はシングルスに比べて、ダブルスの方が大きな実績を残しています。杉山選手が現役時代にダブルスペアを組んだ選手を調べると錚々たる名前が並びます。
女子ダブルスで世界1位を経験した選手だけでも、キム・クライシュテルス、リーゼル・フーバー、カタリナ・スレボトニク、ジュリー・アラール=デキュジスと多くの名前が挙がります。シングルスでも世界1位になったクライシュテルスは、杉山とのダブルスがシングルスにも好影響を及ぼしたと語っています。
ダブルスと比較するとタイトル獲得数の少ないシングルスも、日本人女子では伊達公子の8個に次ぐ数字です。四大大会を制覇した大坂なおみでさえ、シングルスの獲得タイトルは5個と2020年7月時点ではまだ杉山選手の後塵を拝しています。
四大大会とギネス記録
杉山選手の凄さは長期間に渡り、大きな怪我なく、過酷なWTAツアーで高いランキングを維持し続けたところにあります。今でこそ破られてしまいましたが、杉山選手は62大会連続四大大会のシングルス本戦出場という記録を打ち立て、ギネス記録にも登録されました。
四大大会は年間4大会しか開催されませんから、62大会というのは15年半もの間100位以内のランキングを維持していたことになります。
達成当時この記録は男女を通して最多でしたが、後にR.フェデラーが杉山選手の記録を塗り替えました。フェデラーはその後も数字を積み重ね、79大会まで記録を伸ばします。フェデラーに記録を塗り替えられたとはいえ、女子ではいまだに杉山選手が最多記録を保持しており、彼女の偉大さがよく分かります。
「Sugiyam Slam!」
杉山愛選手の凄さを表すエピソードに「Sugiyam Slam」と呼ばれる言葉があります。
2003年にアメリカのアリゾナで開催された「 State Farm Women’s Tennis Classic 」 は天候不順により大会の日程進行が遅れ、最終日に単複の準決勝と決勝の計4試合を実施する日程が組まれました。
杉山選手は単複共に準決勝まで勝ち上がっており、最終的に単複で優勝を果たします。結果的に1日で4試合を戦い抜いたことになったわけですが、4試合の総ゲーム数は108、総セット数は10セット、 総試合時間は6時間18分もの長時間に及びました。
1日で4試合を戦い単複で優勝した杉山選手の偉業は現地のファンに「Sugiyama Slam」と呼ばれ称えられました。
この大会は杉山選手のスタミナは勿論のこと長期に渡り怪我をせずに過酷なツアーを戦い抜いた身体の強さと、自己管理の凄さを表す典型的なエピソードといえます。
杉山愛は不世出のテニス選手
日本の女子テニス界では伊達公子が不世出の天才と多くの人が考えていました。伊達選手のような選手はもちろん滅多に現れないのですが、大坂なおみが登場し、日本人女子として初の世界1位と四大大会タイトルを獲得し、伊達公子の記録を塗り替えました。
しかし、杉山愛選手の成し遂げた単複同時のTOP10入りや62大会連続の四大大会出場、ダブルス世界ランキング1位、四大大会ダブルス4勝(混合含む)、ダブルスツアー38勝など、これらの記録を破るような選手は今後日本には出てこない可能性も十分あります。
個人的には日本では杉山選手への評価が低い印象があります。彼女がこれまでに残してきた実績を考えれば、杉山愛こそ日本女子テニス史上最も不世出なテニス選手といえるのではないでしょうか。
- 投稿者プロフィール
- 阿部亮平
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