テニスはグローバルで実施されている究極の無差別級スポーツです。子供と大人が勝負すれば圧倒的に大人が有利なように、体格差は結果に大きく影響します。一昔前までは体格差で劣る日本人が世界トップレベルで活躍するのは難しいと考えられていました。
そんな常識を打ち破り、日本テニス界を一段上のステージに押し上げたのが伊達公子です。今回はそんな伊達公子選手の活躍をまとめました。
伊達公子
1979年9月28日生まれ。右利き、両手打ちバックハンドの元女子プロテニス選手です。
163㎝55㎏と決してプロテニス選手として恵まれた体格でありませんが、相手の力を利用したライジングショットを武器に、シングルス自己最高位は4位、ツアー優勝回数は14回(単複合計)を記録するなど世界を舞台に活躍した名選手です。
主な戦績
大坂なおみが四大大会を制覇するまでは、シングルスにおいては伊達公子が日本人女子としては多くの分野で最高の成績を残していました。達成当時はアジア人初だった記録も多く、日本だけでなく小柄なアジア人が世界で戦えることを証明したと言っても過言ではありません。
・インターハイ:3冠獲得(シングルス・ダブルス・団体戦)
・全日本テニス選手権:優勝(シングルス3回・ダブルス2回)
・WTAツアー:14勝(シングルス8勝・ダブルス6勝)
・WTAツアー年間最終戦出場:3回
・四大大会:SF進出(全豪・全仏・全英)
・アジア大会優勝(シングルス)
・フェド杯(国別対抗戦):SF進出
・WTA自己最高位:シングルス4位・ダブルス28位
細かく取り上げるときりがありませんが、主要な戦績を挙げるだけでもどれだけ凄い選手だったかが伝わるはずです。
プロ転向まで
伊達公子がテニスを始めたのは6歳で、小・中学校時代は民間のテニスクラブで練習を重ねていたそうです。中学時代に滋賀県テニス選手権で早くも優勝。高校はテニスの名門である園田学園高等学校に進学。3年時にインターハイで3冠を獲得し、高校卒業後の1989年にプロ転向を果たします。
プロ転向後。
プロ転向後8年目のシーズンである1996年に突然現役引退を表明します。引退を表明した当時はまだ世界ランキングもTOP10を維持しており、世間を驚かせました。そして引退から12年経った2008年に現役復帰を発表し、カムバックします。
2度目の現役生活は2017年まで続きました。現役復帰後は怪我などの故障に悩まされる時期も多かったものの、結果的には最初の現役生活よりも長いシーズンを送ることとなりました。
最初の現役生活(1989~1996)
高校を卒業し、プロ転向してから最初の引退までの活躍を確認していきます。
ランキング上昇
プロ1年目からWTAツアーでは本戦入りし、四大大会デビューとなる全仏OPでは予選を勝ち上がり、本戦2回戦進出。全英OP(ウィンブルドン)、全米OPも出場するなど1年目から活躍を見せます。世界ランキングは一気に上昇し119位でシーズンを終えます。
プロ2年目で二桁ランクに到達し、最高56位を記録、年々徐々にランキングを上昇させ、プロ4年目の1992年にTOP20入り、6年目の1994年に初のTOP10入りを果たし、引退発表前年の1995年に自己最高位の4位を記録します。
男子に比べ女子の方がシニアへの移行はスムーズなのは事実ですが、高校卒業翌年に全仏・全英・全米と四大大会3つに出場するような日本人女子は当分表れないのではないでしょうか。
世界1位に勝利
ランキングでトップ10入りする活躍を見せた伊達選手は、当然のようにTOP10選手相手に何度も勝利しています。伊達選手が勝利した相手を調べると、A.サンチェス、R.ダベンポート、G.サバティーニ、J.ノボトナなどの往年の名選手が数多く挙がります。
ただ、対戦当時に世界1位だった選手に勝つことは伊達選手でも難しいことでした。しかし1996年のフェド杯で、当時女子テニス界の絶対的女王として君臨していたS.グラフを7-6,3-6,12-10のフルセットで見事に破り、多くのファンに日本人初の四大大会優勝の期待を抱かせました。
ウィンブルドンSF進出
フェド杯でグラフを破った伊達は同年のウィンブルドンSFで再びグラフと対戦します。1stセットはグラフが6-2で先取し、2ndセットは伊達が6-2で奪い返します。流れに乗ったところで、日没による順延が決まり、翌日行われたファイナルセットを3-6で伊達は落とし、悲願の決勝進出はなりませんでした。
後のインタビューで伊達選手本人が語っていましたが、伊達選手の得意とするライジングショットはタイミングを掴むのが難しく、相手のボールにアジャストするには時間が必要で、順延により感覚がリセットされるのは厳しかったようです。
日没による順延はどうしようもないことですが、もし仮にあのまま試合が続いていたらと多くの日本人ファンは思ったはずです。
ツアー生活のストレスから引退へ
ウィンブルドンでBEST4に入った1996年に伊達選手は突然の引退を発表します。多くのテニスファンを驚かせましたが、ツアー生活でテニスを最優先に考えたストイックな生活がストレスとなり、テニスを純粋に楽しむことができなかったことが原因のようです。
平均的な日本人の体格で世界トップレベルと伍して戦うには、相当ストイックに自分を追い込む必要があったことは想像に難くありません。トップ選手にはトップ選手なりの悩みがいろいろあるのでしょう。
現役復帰(2008~2017)
2008年4月。伊達選手が現役復帰を発表しました。引退から10年以上経過し、なぜ復帰を決めたのか?その理由は伊達選手の引退後になかなか世界トップで戦う日本人選手が表れず、若手へ刺激を与えるというのが大きな理由でした。
伊達選手の引退後に女子テニスはどんどんパワーテニス化が進み、10年以上のブランクがある選手がそうそう簡単に活躍できるはずがないという見方が一般的でした。しかし伊達選手はその期待を見事に裏切ります。
全日本選手権優勝。
復帰初戦は下部ツアー大会とはいえ、予選を勝ち上がり、本戦では決勝進出。しかも当時の日本人女子のトップ選手を複数破っての快進撃でした。復帰会見で語った若手への刺激を与えるという目的を復帰初戦から見事に果たします。
復帰同年に開催された全日本選手権にも伊達選手は出場します。結果は驚きの単複優勝。10年以上ブランクのある選手が復帰後すぐに日本一に輝いたことで、伊達選手が凄いのか、それとも日本人の女子選手が情けないのかという疑問が生じました。
しかし、翌年の伊達選手の活躍でその疑問が解消されます。
四大大会復帰とツアーでの活躍。
復帰翌年、伊達選手はWTAツアーにも挑戦し始めました。全豪OPでは見事予選を勝ち上がり、本戦入り。本戦1回戦ではシード選手に敗れるものの、スコアは6-4,4-6,6-8と大接戦を演じ、世界中を驚かせました。
復帰後、接戦は演じるもののツアーレベルではなかなか勝利を掴むことができませんでした。しかし、韓国OPで復帰後のツアー初勝利を掴むと、その勢いに乗って同大会にて復帰後のツアー初優勝を達成。
その後も得意のライジングと巧みなスライスを活かした老獪なテニスでトップ選手からも勝利を挙げるなど、WTAツアーに定着して活躍を続けていきます。
2度目の現役生活ではダブルスにも積極的に参戦し、5つのツアータイトルを獲得。全仏OPではSF進出も果たすなど、ダブルスでは自己最高位を更新する活躍をみせました。
2度目の引退。
WTAツアーに定着し、2桁ランキングを維持する活躍を続けていましたが、怪我による欠場は年々増えていき、2017年に2度目の現役引退を決断します。
引退試合のスコアは0-6,0-6と完敗でしたが、その後にコート上で行われた引退セレモニーには多くのファンや選手が駆け付け、感動的なものとなりました。
引退後の活動
引退後は、テニスの普及や更新の育成など幅広い形でテニスに関わる活動をしています。最近は世界で活躍するジュニアを育成するキャンプをヨネックスと共同でスタートするなど、今後は伊達選手の教えを受けた選手が世界で活躍する日がやってくるはずです。
今後の活動にも注目!
突然の現役復帰があったように、伊達選手の行動や活躍は常にテニスファンを驚かせてきました。きっと今後も何か大きなサプライズをテニス界に提供してくれるはずです。伊達選手のこれからの活動にも注目です。
- 投稿者プロフィール
- 阿部亮平
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